産後のママにとっては、子育て経験のあるおじいちゃんやおばあちゃんからのアドバイスは心強いものですよね。
でも時に、
- アドバイスも少し必要ないな…
- 今のは余計な一言では?
- 余計なお節介…
なんて感じてしまうことがあるんです。
今回は、あるママから寄せられた、産後に孫について祖父母からされたアドバイスでちょっと迷惑だと感じたものをご紹介します。
実母からの『母乳が足りないんだよ。ミルクをあげな』
私は産前から実家に里帰りをしていました。
義実家は近かったのですが、やはり義母には遠慮がある。
一方実家は遠くすぐに自宅に来てほしいといえるような距離ではない為、里帰り出産を選びました。
入院直後から、私と息子、そして実母と同じ部屋で寝ることになりました。
夜も大変だろうという実母の気遣いからです。
私が、入院中からつまづいていた育児の一つが、母乳の事です。
あまり母乳の出が良いとは言えない状態で退院しましたが、できれば完全母乳を目指したいなと思っていました。
そして退院後、母乳を出すためにはどうしたらいいのかを調べた結果、夜間に母乳はたくさん作られるということ。
そして、その間に赤ちゃんに母乳を飲んでもらうことが母乳がたくさん出るようにするコツの一つだということを知りました。
私はそれを実行しようとしました。
でも、それを実行しようとする私に対し実母の口から出た言葉が『母乳が足りないんだよ。ミルクをあげな。』という一言でした。
頻回授乳が良いということ、しかもそれは夜間が絶好のチャンスだということを説明しても、すぐミルク、ミルクといった感じです。
実母としては、
- お腹がすいたらかわいそう
- 頻回授乳は私に負担がかかる
との想いだったと思います。
正直、ミルクではなく母乳をあげたかったのですが、お世話になっている身、しかも夜中に赤ちゃんを泣かせることで他の家族にも迷惑をかけてしまうことを考えると、従わずにはいられませんでした。
実父からの『ここでおっぱいあげたらいいのに』
私は授乳している姿を人に見られるのが苦手でした。
それは男女問わず、実母でさえ抵抗がありました。
女性に関しては、おっぱいを見られるのも仕方がないことなのだと割り切るようにしたのですが、男性となると話は別でした。
実父なのだから問題ないという考え方の人もいると思いますが、私の場合そうではありませんでした。
だから、授乳の際に実父が同じ部屋にいる場合は場所を変えていました。
そんな私に実父の口から出た言葉が『ここでおっぱいあげたらいいのに』という一言でした。
確かに、授乳なのだから部屋を変える必要はなかったのかもしれませんが、結局最後まで実父はおろか、旦那の前でもおっぱいを出す事はありませんでした。
義母からの『女の子だったらいっぱい服買えたのに』
これはアドバイスではないのですが。
私がまだ妊娠中で、性別がわかった時に言われた言葉です。
そして、私が直接言われたわけではなく。旦那から伝わってきた言葉です。
私の義母は、本当に申し訳ないと思うほど、私に気を使ってくれる方です。
普段は私が気にするような言葉は言わないようにしてくれている様子です。
そんな義母の口から出た言葉が『女の子だったら服をいっぱい買えたのに』という一言です。
私を目の前に言ったわけではないのですが、それが逆に義母の本心が伝わってきた気がしました。
そして、私自身がどちらかといえば女の子を希望していたので、余計に悲しい気持ちになりました。
番外編:町で会っただけの方からの『おっぱいたくさんあげるといいよ』
最後に番外編ですが、町で会った全く知らない方の口から出る『おっぱいたくさんあげるといいよ』という一言も私を悩ませました。
当時私は母乳とミルクの混合育児をしていました。
本当は母乳はほんの少ししか出ていなかったのですが、それでもいいから飲んでほしいという思いで飲ませていた状態でした。
そんな中で、全く知らない方から『おっぱいなの?ミルクなの?』と聞かれることがありました。
町でたまたま会っただけの知らない人に、母乳育児なのかミルク育児なのかを尋ねられるのは、とても抵抗がありました。
両方あげていることを伝えると、納得してくれる方もいましたが、去り際に私に対して『おっぱいたくさんあげるといいよ。』と伝え、息子に対しては『たくさんおっぱい飲んでね』とわざわざ伝える方までいて、内心あまりいい気はしませんでした。
今では、今と昔の考え方の違いがあるのだろうと理解できますが、当時は無理でした。
アドバイスはママの負担になることも
以上が私が言われて迷惑だった、アドバイスや余計な一言です。
どれも私のことを気遣ってくれていたり、感覚や考え方の違いだったり、何気ない一言であったりするのですが、私にとってはあまり聞きたくないような言葉でした。
妊娠中や産後は、ホルモンバランスの関係からか、普段は気にならないようなことも気になるものなのだと実感しました。